「ルールだから守りなさい」と言えない教員は弱いのか?
とある研修で、こんな話があった。
どんなルールでも、ルールと決まっている以上は「ルールだからだ。守れ。」と言うべきだ。
「なぜ守らなければいけないの?」と生徒に聞かれて、「ルールだから」と言えない教員は弱い。
ちっとも納得できやしない。
ルールが大嫌いだった中学時代
私は、ルールや規則と名のつくものが大嫌いな子供だった。
先生に怒られることも多かった。
一番嫌いだったのが身だしなみに関する規則。
「人は見た目で判断されるから、社会に出て損をしないように。」
こう説明されることが多かったけど、それでも納得できなくて、中学では変な色のカーディガンを着たり、ピアスも開けていたし、髪の毛も染めていた。
別にカーディガンなんか紺で良かったし、ピアスなんて痛いから開ける必要もないし、黒髪が正義だと思っている。あの身だしなみは、単なる教師や社会への反抗だったと思う。
先回りして、自分の道を塞がれることが、私は本当に嫌いだ。
先生の言うように、ちゃんと身だしなみを整えれば、「良い子」だと思ってもらえるけど、そうじゃなければ「悪い子」だと思われて評価してもらえないよ。
…私、良い子になりたくない。
もともと、部活にも力を入れてたし、学校行事も好きだったし、社交的な方だったし、勉強も好きだった。だから、先生たちの言う、本当の「不良」になりうる生徒ではなかったと思う。
だからこそ、「見た目で損をしないように」と言う言葉は、何度も何度も言われた。
ルールは守れないけど、認めてもらえそうなところで認めてもらえるように努力した。
同窓会で当時の担任に「あの頃の君には問題があった」と言われてしまうような、「悪い子」だったかもしれない私だけど、中学校時代の自分は今でも嫌いじゃない。
「良い子」になれたかもしれない高校時代
中学以上に校則の厳しい私立高校に入学した。
入学した瞬間から、髪の毛の茶色さを指摘された。翌日に黒染めして登校した。
そのあとも、ピアスがバレたり、化粧がバレたり、スカートが短いと言われたり、いつも女性の先生に何か言われていたような気がする。
「いくら勉強を頑張っていても、生活がきちんとしていない子は頑張りを認めてもらえないわよ」
別にギャルを目指していたわけでもないし、ただ、理解できないことに従うことが嫌だった。
退学者も何人かいたようだった。
「私も転校するからいいです」
と言い捨てて、何校か高校見学に行った。
学費の説明を受けて、親に尋ねた。
つまさき「今通ってるここの入学金もこんなにかかってるけど、転校したらもう一校分かかるけど。いいの?」
親「お前が楽しく高校へ通ってくれるならそれでいい」
なるべくバレないように俯いてめちゃくちゃ泣いたのを覚えてる。
転校なんて馬鹿な考えはやめた。ここで3年間笑って過ごそうと思った。
転校しない限りは、ここの規則を守らなきゃならない。退学にも、停学にもならないで、3年間を終える。
あれから、ピアスの穴も塞いだ。化粧もやめた。中学校へ顔を見せると、口々に「変わった」「落ち着いた」と言われた。
それが良かったのかどうかは、わからない。
原動力は人それぞれ
高校では、それなり大切な友達もできたし、別に孤立していたわけではないけど、何かに打ち込んだり、めちゃくちゃ頑張ったことがあったかと聞かれたら、正直なかった。
特に、ルールを守るようになってからは、普通に生活していれば「良い子」でいられたから、特段どこかで力を発揮する必要もなかった。
(私が「良い子」だなんて、高校の友達に言ったら怒られそう)
中学時代は、ルールを守れない分、どこかで頑張らないといけなかった。
「問題児だけど、人をまとめる力がある」とか、「問題児だけど、勉強を頑張っている」とか、そういう、評価される部分を作るために努力できた。
それが自分の原動力だったような気がする。
「髪の毛を染めているから学校に来られる生徒もいる」
大学の、尊敬するゼミの先生の言葉。
枠からはみ出していることで、自分の存在意義を感じ、登校できる生徒もいる。
枠に入れてしまえば、自分はその中の「一部」であり、「いてもいなくてもいい存在」になる。「異質な存在」であれるから、学校へ来られる。
髪を染めて登校した生徒を学校へ入れないのも、帰して染め直してから来いというのもナンセンス。
今の私には、じゃあどうすればいいのか、そのような生徒をどう扱えばいいのか、策は見つからないけど、ものすごく考えさせられた。
中学時代の自分も、校則を守らなかったからこそ、色々なことに一生懸命に取り組めていたし、どこかで自分を売り出さなきゃならないと理解してた。と思う。
高校時代の自分は、当たり前のことを当たり前にこなすだけで、十分だった。
ルール、モラル、マナーは損をして学ぶ
「将来、大人になって損をするからルールを守りなさい。」
あたかも、自分を思ってくれているような台詞だけど、それって言葉で言うよりも、損した方が気付けるのでは?
髪の毛を金髪にして、「将来、社会に出て認めてもらえないよ」と言われるよりも、
彼氏に「俺、そう言うチャラい髪型の女子嫌い」と振られる方がぐさっとくるし、
短いスカートを履いて、「そんなスカート丈じゃみっともないわよ」と言われるよりも、痴漢に遭い、泣きながら警察に届け出たのに「その長さじゃね…自分も悪いよ…」と言われる方が死ぬほど後悔する。
損をしたり、不利益を被る前に先回りして止めなくても、実際に嫌な思いをして学ぶ方が学びは大きい。
あまりにもルールを重視しすぎている
学校には、遊びがない。
「ルールだから守らなければならない」ことが多すぎる。
「ルールを守ること」は目的ではなくて手段のはずなのに、目的が見えて来ない。
だから私は、「ルールだから守れ」と、理由も説明できず、押し付けをする教員が嫌いだし、そうはなりたくないと思っている。
理由を説明したって、聞き入れるのか、聞き入れないのかは生徒に選ばせたい。
校則がそんなに大事ならば、じいちゃんがそう言うはずだ
私にとってじいちゃんは絶対的な存在。
私が校則を破りまくっていることも、じいちゃんは知っていた。
でも、「学校に従え」と言うことはなかった。
「毎日楽しいか?」
そればかり心配していた。
良い子だろうが悪い子だろうが、毎日笑って登校しさえすれば良いと言ってくれる家庭で育った。品がないと言われるかもしれないけど、私はこの家族の元で育って良かったと思っている。
「いじめにあっていないか?いじめにあったら、学校なんか行かなくていいんだからな。」
じいちゃんはいつも孫がいじめにあっていないか心配していた。
いじめられっ子とは程遠かったので、「そんなわけないじゃん」といつも笑って答えてた。学校へ行くことすら、強要されない家庭だった。
私が守らなければならないルールは、「家族を悲しませることをしない」これだけで十分。
何が何でもルールを守らせようとなんかしなくても、思いやりを育てれば社会は育つ。
大人になった今でも、やっぱりルールは好きになれない。