「自分を信じなさい」という言葉は残酷だ。
ふと思い出した。ある日のバスケの試合。
自分はプレイヤーだった。
顧問の先生の指示通り、私のドライブから点数が決まり、2点が自チームに加わった。
そして、ファールのジェスチャーののち、私に1本のフリースローが与えられる。
タイムアウトを取ることはなく、顧問の先生が私に向かって叫んだ。
「努力は自分が一番わかってる!大丈夫だよ!入るよ!」
何もわかっていない、と思った。
私は努力をしているふりをすることが上手だ。
「ふり」をすることで、部長の座も手に入れた。「ふり」をすれば、認めてもらえることくらい知っていた。
本当は、疲れることや面倒なことは嫌いで、隙さえあれば手を抜いてしまう人間。
「努力は一番自分がわかっている」というのなら、自分が極限まで努力できていないことを一番よくわかっているのは自分だった。
自分を信じられないまま、放たれたボールは、リングを通過することなく地面へ落ちた。こんなもんだ。
人生は、「大丈夫!入るよ!」の一言でシュートが決まってしまうほどドラマチックじゃない。
試合は、負けた。「今までで一番良い試合だった」とか何とか顧問の先生は言っていたような気がするけど、私にとっては最悪だった。
自分の甘さがはっきりとスコアに表れたゲームだったから。
努力は、人に見せびらかすものでも、何か見返りを求めてするものでもなくて、自分をちゃんと信用してあげるためにするものだ、と初めて学んだのはあの試合だったように思う。