友達から非難されることは一番の教訓
中学の頃、私は反抗心を教員にぶつけるよくあるタイプの生徒だった。
家族への反抗期もなかったわけじゃないけど、基本的に根底に「家族アイシテルー」な気持ちがあったので、発散し切れず思春期独特のストレスがカラダ中に溜まっていた。
思えばあの頃の私は、先生をイラつかせる天才だったと思う。
よく大きな声で怒鳴られたことを覚えているし、悪いことは悪いと理解して尚していた。
怒られることが怖いという意識はもうなかった。ただ、「めんどくせぇな〜うぜぇな〜」くらいの気持ち。
いつも通り先生に叱られたある日、私は普段の会話の中で友達に言った。
「あいつ超ウザいね。病気回復せず死ねば良かったのに。」
私が「死ねば良かった」と言った先生は、以前に白血病が発覚し、奇跡的にもその病からの回復を遂げた人だった。
もちろん、そのことも知っていたし、「また大好きなコロッケ が食べられることが幸せだ」と言っていたことも知っていた。
当時の私も、本気で「死ねば良かったのに」などとは思っていなかったはずだった。
軽はずみのその発言に、仲間たちはいつものように「そうだよね、マジウザい。死ねば良かったのに。」と返してくれると信じていた。
その時だけは違った。
「その言葉だけは使っちゃいけないと思う」誰一人、私の「死ねば良かったのに」という言葉に賛成しなかった。
単純に、恥ずかしかった。自分はどれほどアホなんだと思った。
中学生ながらに、私以外のみんなが「死」という言葉を軽々しく使ってはいけないものだと知っていた。
大切なことを教えてもらった経験は今でも残っていて、あれから軽々しくその言葉を使うことはなくなった。
そして、大切な友達が教えてくれたからこそ、私は大切なことに気付くことができたし、本当に彼女たちには感謝している。
上手く言えないけど、こういうのを本当の友達って言うんだろうと、当時思った記憶がある。
こうやって、私たちは影響し合っている。
多感なあの時期に、あの子たちに出会えて良かった。