担任が一番行事を楽しんでたら、生徒も着いてくるっしょ。
自分がずっと前に書き留めていた記事を、最近アップした。
日本で教員をしていた頃に書いていた記事。
基本、威圧で生徒を押し付ける教育や、規則だけで縛る教育については今も反対だし、日本はもっともっと子供にのびのびさせてやりゃいいのに、と思ってる。
でも、「クラスから教員が姿を消すべきだ」という、約2年前の自分の考えについては、どうなんだろうと思う部分がある。
生徒が勝手に成長するのは間違いない。
放っておいても、ちゃんと成長してくれる。自ら学んでくれる。
でも、同時に彼らはロールモデルを求めてる。
「憧れ」が欲しいんだよね、目標が欲しいんだよね。
クラスの担任が一番、体育祭や合唱コンクールなどの行事を楽しんでたら、生徒たちだってついて行きたくなるさ。
私だって、ジュルッと音を立てながら「おいしい!」と笑顔で牡蠣を食べる人見ると、「あれ、私牡蠣好きじゃないけど、食べたいかも…?」と思うもん。
生徒の一番近くで、毎日の生活を笑顔で楽しんで、行事に燃えて悔しんで、一日を胸いっぱいの達成感で終えて。
そんなクラスが荒れるわけないんじゃない?と思っちゃうよね。
ただ、自分が絶対に今でもしてはいけないと思っていることは、「生徒が失敗する前に手を差し伸べてしまうこと」!
全てお膳立てして、成功体験だけをさせる。そんな教員いるよね。
生徒は気持ちいいかもしれないけど、失敗しても、失敗しても、挑戦し続ける限りは必ず最後に成功するんだ、ってことを学べない。
恥ずかしい思いさせればいいじゃん。
悔しい思いさせればいいじゃん。
涙だって、流させればいいじゃん。
喧嘩したっていいじゃん。
それでも、諦めちゃいけない、ってことを教員は教えなきゃいけないよ。成功する秘訣なんて教えなくていい。それは自分で学ばせるべき。
私が、中学生の頃からずっと思ってきたこと。
「子供が転ぶ前に石があることを教えたり、転んだ後すぐに手を差し伸べたり、そんな教員ではなくて、3メートル先で手を広げて、相手が自ら起き上がり方を覚えて再び歩き出すのを待っている教員でありたい」
教員を辞めても、新人教育だったり子育てだったり、人間がそこに2人以上いる限り、教育は必ずつきまとう。
これだけはずっと忘れたくないし、中学の頃の自分の考えを尊重したい。
私が自分の親を尊敬しているのは、私が失敗することを許してくれたからだ。
私の人生、失敗だらけだった。
それでも、「やめとけ」なんて言わずに、応援してくれたし、必要であれば金銭的に支援もしてくれた。
失敗したあとはいつだって苦しくて、嫌になる。それでも、何度も、何度も、失敗してこられて良かった。失敗が許される家に産まれて良かった。
まとめ
・教員が毎日を楽しむこと
・教員が熱くなること
・生徒に失敗をさせること
・生徒に何度も挑戦させること
4行でまとまることを、クソどうでもいい自分語りを込めてお伝えいたしました。以上です。