『これからの「正義」の話をしよう』から考える、給食の分配方法
私は教員をしているので、平日は毎日給食を食べています。
給食の量というのは子供たちにとって(私にとっても)死 活 問 題。
大盛り・小盛りなどの給食の分配の仕方は、公正だと言えるのだろうか。
今回は、このテーマについて、かの有名なマイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』を参考に紐解いていきましょう。
この研究について
<研究テーマ>
『これからの「正義」の話をしよう』から考える、本校の給食の分配方法の公正さについて
<研究の目的>
私は、2時間めが終わったあたりから給食の事しか頭に無い生徒でした。4時間めにもなると、もう授業に集中なんかできません。毎日の献立もきちんと把握していました。しかし、「量が足りない…」切実でした。このようなひもじい思いをする中学生を少しでも減らしたい!という願いから、この研究を行うこととしました。
<予想>
さすがに学校だし。公正でしょう。学校だし。義務教育だし。義務教育の「義務」とは、給食を食べる「義務」です。
研究に移る前に、まずは言葉の定義からいきましょう。
『これからの「正義」の話をしよう』における「公正」とは
本書において「公正」とは、大きく分けて2つの定義がなされています。
① 価値の分配が正しいこと
② 成功への平等なチャンスが与えられること
給食費はいくら?
給食は、地域や学校にもよりますが、だいたい一食600円前後。
今、「高っ!」と思った?思ったよね?
自分でリンク貼っておいて、お腹空いてきました。
ビフテキ… サイコロステーキ… うまそう…
話を元に戻します。
しかし、全額を家庭が負担しているわけではありません。
文部科学省の学校給食実施状況等調査によると、中学校の月額の給食費は平均4882円。
登校日を月に22日と仮定すると、だいたい1食222円くらい。(本校はちなみに300円…全国でも高い方なのね…)
大盛り・小盛りは自己申告!?
本校は、全校が一堂に会して食事をするパターンで、給食のおばちゃんが配膳をしてくれます。そこで、
「大盛りで!」
「少なめで!」
と自己申告します。
教室で食べる学校は、給食当番さんに同じように伝えるのだと思います。
あくまでも、自己申告。そのため、「自分の欲しい量だけもらえるんだから、公正じゃないか」と思う人もいるでしょう。
果たして、そうでしょうか。
望むものがふさわしく与えられること=公正
『これからの「正義」の話をしよう』には、上記の内容が書かれています。
望むものがふさわしく与えられること…
「うん、だからさ、生徒が望むだけ配膳してくれるんだから、公正でしょ?」
ちっがぁーーーーーーーーーう!!!!
「誰が」望むものが与えられるか、が重要。
そりゃ確かに子供が望む分は得られるのかもしれないけど、お金を払っている保護者はどうよ?
「うちの子は全然食べないから大きくなれないのよ…学校でたくさん食べさせて欲しいわ…」
こんな保護者の方がいた場合、そしてその子に小盛りの給食が分配されていた場合、これは「公正」と言えるのか。
また、例え子供が「少なめで…」と申し出ていたとしても、その子が本当に小盛りを望んでいるのかどうかは、本人にしかわかりません。
「好きな人が後ろに並んでる… 少食だと思われたい…」
「私が大盛りにしたら他の子の大盛りの分が無くなっちゃう…」
など、色々な思いから、自分を偽って「少なめ」と申告している子もいるかもしれません。
遺産相続と同じです。そりゃあ誰だってお金がもらえるなら欲しいはず。それなのに、
「私はいいわ…。後の兄弟みんなで分けて…。」と言う人がいる。
優しい人が、謙虚な人が、損をする。
だとしたら、これってすごく不公平ではないでしょうか?
自己申告でなく強制的に「大盛り」と言わされる場合もある
男子の運動部に多いです。我が校では、野球部とサッカー部は顧問から圧力をかけられています。
「大 盛 り を 食 う ん だ よ な ?」
クラスの野球部・サッカー部も、必ず大盛りを頼んでいますが、苦しそうに「ごちそうさま」をしています。
彼らは、そんなに食べたくないんです。
腹八分目で「あ〜美味しかった」で終われる仲間のことを、実は羨ましく思っているかもしれません。
平等な「成功のチャンス」が与えられているか?
公正の2つ目の定義である「成功への公平なチャンス」についてはどうでしょうか。
給食に関しては、「成功」とは「成長」のことでしょう。
大盛り・小盛りという言葉が存在する時点で、平等な成長が約束されていないことは一目瞭然。
また、更に不平等だと感じられる点として、
「教員は無条件で特盛がもらえる」。
野球部・サッカー部も顔負けの、特盛。大人だからというだけで。
もう成長しきった大人に特盛を与えるよりも、未来ある子供たちに与えるべきだ、と思うのです。
ほら、まったく公正ではありませんね。
給食のカツアゲは起こりうるか?
起こります。
我が校では、給食をあげるとか、交換するとか、そのようなことは一切禁止されています。アレルギーの関係もあるし、単純にカツアゲ禁止の意味もあって。
でも、私が生徒として通っていた中学校では、毎日がカツアゲデーでした。
「小皿の野菜やるから、デザートくれよ」
「なると1つあげるから、ゼリーくれよ」
献立が配られたその日から、不平等な交換予約が始まります。つまり、2週間先くらいまで予約していました。
日米修好通商条約より不平等です。
ちなみに、私は主犯でした。
給食予約のハリスと呼んでください。
結論
給食の分配方法は、平等ではない!!
でも、毎日お安くあんなに美味しい給食が食べられることに感謝すべきだし、教員は特盛がもらえるし、正直分配方法なんてどうでもいいです。
みんな、給食のおばちゃんや栄養士の先生に感謝しようね!