インド人イケメンに学ぶ、「疑問を持つこと」の大切さ
目次
21の冬、初タージ体験
タージマハルを初めて訪れたのは21の冬。
受付にたどり着くまでに、大学生らしき2人のインド人男性(イケメン)に声をかけられた。
「外国人の入場料は高いから、僕たちと一緒にインド人として入ろう。きっと外国人だってこと、バレないよ。」(甘い声)
タージマハルの入場料
タージマハルの入場料をご存知だろうか。
外国人は750ルピー、インド人は20ルピー。めちゃくちゃ大まかに日本円にして計算すると、1ルピーだいたい2円なので、外国人1500円、インド人40円…
なんだこれ。ちなみにタイなんかも、外国人料金を設定してる国のひとつです。
基本的にイケメンは信用するようにしている
私は、そのインド人イケメン2人組を信用した。
今まで散々話しかけられたインド人嘘つきおじさんたちとは訳が違った。
「そうだね!ありがとう!きっとバレないね!」
私は、彼らと一緒に20ルピーを握りしめて受付へ向かった。
私はインド人になれなかった
受付のおじさんが私を見てこう言った。
「フーアーユー?(お前は誰だ?)」
イケメンインド人のうちの1人が、「家族だ」と答えた。
(ヒンディー語で行われた会話なので、その時はわからなかった。あとで聞いた。)
受付のジジイは、呆れた顔で私に外国人料金の750ルピーを請求した。
しばらくイケメン2人は私のために戦ってくれたけど、途中で申し訳なくなったので、黙って外国人料金を支払い、「私のために争うのはヤメテ…」と、口論をやめてもらった。
5分前に発した自分の言葉が、情けなくて仕方なかった。
「そうだね!ありがとう!きっとバレないね!」
「そうだね!ありがとう!きっとバレないね!」
「そうだね!ありがとう!きっとバレないね!」
んなわけあるかよ。
確かに私は、中国人になることはできた。あれは、誰が何と言おうとまぎれもなく中国人だった。
しかし、今回はどうだ。
最初から勝算などなかったのだ。私はヒンディー語は「ナマステ」しか話せないのだから。
私は、タージマハルに日本人として入場した。
「僕たちはそんなに貧乏に見えるかい?」
イケメンは、外国人料金にずっと納得いかなかったと言っていた。
私からすれば、インドは貧しい国で、収入も違うし、ここにいるから「タージマハル高すぎワロタ」となるわけだけど1500円って日本じゃ普通の値段だし、1500円払っても見る価値あると思うし…
彼らからすればそれは違うようだった。
「収入に応じて支払う金額が違うのは納得できる。僕らは物乞いの人にも、ぜひタージマハルを見て欲しいと思っている。彼らには無料で入場させてもいいくらいだ。」
「でも、僕たちはそんなに貧乏に見えるかい?」
つまり、私がインド人よりも高い入場料を払うことに何の疑問も抱かなかったということは、「インド人=貧乏」という図式に疑問を抱かなかった、ということなんだよね。
インドには、むしろ日本以上にお金持ちがうじゃうじゃいる。
「私日本人だし!日本人はインド人より裕福だから、 たくさん払うよ!」なんておこがましいと思った。
常に疑問を持つ続けること
外国人料金を設定することに関して、まだ自分の中で結論は出ないけど、「おかしい」と思うことに価値があるんだと思う。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないようにすることである。 (アルバート・アインシュタイン)
「法律で決まっているから」「慣習だから」「常識だから」「ルールだから」と、当たり前に流されず、自分のアタマで考える癖を持ちたい。
イケメンから、そんなことを学んだ初タージ体験だった。