つまさき47度

教科書をマスターしても、英語は話せない

 

教員免許を持っている人の中では、「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」ことは基本中の基本である。

 

しかし、色々な人の授業を参観させてもらうと、「教科書の中身しか教えてないじゃん...」と思うことが多々。

 

特に、英語に関しては、「そんなにその文章読み込む必要ある?」と思えるくらい、精読させる人がいる。

 

精読は必要だ。否定はしない。

 

でも、材料は選ぶべきだと思う。

 

教科書は教材のひとつに過ぎないし、当然生きた教材も使うべきだ。

 

ニュースが教材になってもいいし、生徒の書いたエッセイが教材になってもいいし、海外の有名人の台詞が教材になってもいいし、英語なんて世界中で使われているんだから、教材は星の数ほど転がっている。

 

コミュニケーションツールとしての英語は、絶対に教科書だけでは学べない。

 

日本の英語教員は、世界で馬鹿にされている。

 

この間、シンガポールの子供と会話をする機会があった。

 

「日本人の英語教師は、リピートアフターミー、アッポー、アッポー、こればっかり。

そして、覚えなきゃならない単語なんていくらでもあるのに、教科書の単語ばかり教える!

単語の形からイメージを持てるようにすることが大切なのに。」

 

彼らに同意する。

 

結局、英語のシャワーを浴びせることが必要。

圧倒的に、触れる単語数が足りない。

 

日本の英語教員は、もっともっと英語に触れる機会を与えてあげて欲しい。