教科書をマスターしても、英語は話せない
教員免許を持っている人の中では、「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」ことは基本中の基本である。
しかし、色々な人の授業を参観させてもらうと、「教科書の中身しか教えてないじゃん...」と思うことが多々。
特に、英語に関しては、「そんなにその文章読み込む必要ある?」と思えるくらい、精読させる人がいる。
精読は必要だ。否定はしない。
でも、材料は選ぶべきだと思う。
教科書は教材のひとつに過ぎないし、当然生きた教材も使うべきだ。
ニュースが教材になってもいいし、生徒の書いたエッセイが教材になってもいいし、海外の有名人の台詞が教材になってもいいし、英語なんて世界中で使われているんだから、教材は星の数ほど転がっている。
コミュニケーションツールとしての英語は、絶対に教科書だけでは学べない。
日本の英語教員は、世界で馬鹿にされている。
この間、シンガポールの子供と会話をする機会があった。
「日本人の英語教師は、リピートアフターミー、アッポー、アッポー、こればっかり。
そして、覚えなきゃならない単語なんていくらでもあるのに、教科書の単語ばかり教える!
単語の形からイメージを持てるようにすることが大切なのに。」
彼らに同意する。
結局、英語のシャワーを浴びせることが必要。
圧倒的に、触れる単語数が足りない。
日本の英語教員は、もっともっと英語に触れる機会を与えてあげて欲しい。