つまさき47度

年の越し方

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最近は海外で年を越すことが多い。

 

フィンランドやら、ウズベキスタンやら、タイのチェンマイやら...

 

チェンマイではコムローイを上げながら、「こうやって海外で年を越すことがまたできますように」と願った。

 

教員を始める前の年越しだった。

教員を辞めて、また海外での年越しができるようになった。

 

海外で年を越すようになる前は、当時付き合ってた彼氏と越してたかな、そんな気がする。

 

誕生日、クリスマス、年越し... 大事な瞬間はいつだって一緒に居たかった。

 

友達の家で複数でパーティーして越したり、色んな年の越し方を経験してきたけど、一番多かったのは祖父母の家で紅白を観て、それから年越し。

 

年を越してから、近くの神社へお餅を食べに行って、ついでに初詣。

いや、初詣のついでにお餅。どっちでもいいや。

 

いつまでも引きずっているようでかっこ悪いけど、これを思い出したのは、いつもじいちゃんと一緒に神社へ行っていたから。

 

じいちゃんは私と初詣に行くのを楽しみにしていた。

いつしか、彼氏や友達と年を越すようになって、じいちゃんも初詣に行かなくなったんじゃないかと思う。

 

じいちゃんが神社へ行っていたのは、神社へ行きたかったからではなくて、私を連れて行きたかったから。

 

何だってそうだった。

 

じいちゃんは外食が好きじゃなかった。でも、私の好きそうな店を探しては、行きたがった。

じいちゃんが行きたいんじゃない、私を連れて行きたかっただけだった。

 

クリスマスは、友達と過ごすと伝えても、必ずクリスマスケーキが買ってあった。

「ケーキはもう外でたくさん食べてきたよ」と文句を言いながら食べた。

 

じいちゃんは一口も食べなかった。父もじいちゃんに似たのか、必ずクリスマスケーキを買ってくる人なので、クリスマスには毎年たくさんのケーキを食べていた。

 

そんなわけで、じいちゃんは、お餅を食べて喜ぶ顔が見たくて、年末にはいつも私を初詣に誘った。

 

眠いとか寒いとか文句を言いながら、家から神社まで歩く道のりが好きだった。

 

早くお餅が食べたいのに、ちゃんとお参りしてからでないと食べさせてもらえなかった。

 

毎年、あんこのも、きなこのも、両方食べた。

 

年越し蕎麦も食べたはずなのに、新年早朝からたらふく食べた。

 

帰って寝て、起きてまた祖父母の家でテレビを観た。そんな寝正月。

 

そんな過ごし方は、望めばいつだってできると思っていた。

海外で過ごすことや、彼氏と過ごすことは、私にとって特別だった。

 

今はもうじいちゃんはこの世にいないから、一緒に年を越すことはできない。

 

簡単なことなのに、私は実際に失ってみるまで、その瞬間の大切さに気付くことができないタイプの人間だ。

 

一回でも二回でも、じいちゃんと過ごす正月が多かったら良かったのに、と戻らない年月を振り返って思う。

 

春は実家に帰り、めいいっぱい家族孝行しよう。