年の越し方
最近は海外で年を越すことが多い。
フィンランドやら、ウズベキスタンやら、タイのチェンマイやら...
チェンマイではコムローイを上げながら、「こうやって海外で年を越すことがまたできますように」と願った。
教員を始める前の年越しだった。
教員を辞めて、また海外での年越しができるようになった。
海外で年を越すようになる前は、当時付き合ってた彼氏と越してたかな、そんな気がする。
誕生日、クリスマス、年越し... 大事な瞬間はいつだって一緒に居たかった。
友達の家で複数でパーティーして越したり、色んな年の越し方を経験してきたけど、一番多かったのは祖父母の家で紅白を観て、それから年越し。
年を越してから、近くの神社へお餅を食べに行って、ついでに初詣。
いや、初詣のついでにお餅。どっちでもいいや。
いつまでも引きずっているようでかっこ悪いけど、これを思い出したのは、いつもじいちゃんと一緒に神社へ行っていたから。
じいちゃんは私と初詣に行くのを楽しみにしていた。
いつしか、彼氏や友達と年を越すようになって、じいちゃんも初詣に行かなくなったんじゃないかと思う。
じいちゃんが神社へ行っていたのは、神社へ行きたかったからではなくて、私を連れて行きたかったから。
何だってそうだった。
じいちゃんは外食が好きじゃなかった。でも、私の好きそうな店を探しては、行きたがった。
じいちゃんが行きたいんじゃない、私を連れて行きたかっただけだった。
クリスマスは、友達と過ごすと伝えても、必ずクリスマスケーキが買ってあった。
「ケーキはもう外でたくさん食べてきたよ」と文句を言いながら食べた。
じいちゃんは一口も食べなかった。父もじいちゃんに似たのか、必ずクリスマスケーキを買ってくる人なので、クリスマスには毎年たくさんのケーキを食べていた。
そんなわけで、じいちゃんは、お餅を食べて喜ぶ顔が見たくて、年末にはいつも私を初詣に誘った。
眠いとか寒いとか文句を言いながら、家から神社まで歩く道のりが好きだった。
早くお餅が食べたいのに、ちゃんとお参りしてからでないと食べさせてもらえなかった。
毎年、あんこのも、きなこのも、両方食べた。
年越し蕎麦も食べたはずなのに、新年早朝からたらふく食べた。
帰って寝て、起きてまた祖父母の家でテレビを観た。そんな寝正月。
そんな過ごし方は、望めばいつだってできると思っていた。
海外で過ごすことや、彼氏と過ごすことは、私にとって特別だった。
今はもうじいちゃんはこの世にいないから、一緒に年を越すことはできない。
簡単なことなのに、私は実際に失ってみるまで、その瞬間の大切さに気付くことができないタイプの人間だ。
一回でも二回でも、じいちゃんと過ごす正月が多かったら良かったのに、と戻らない年月を振り返って思う。
春は実家に帰り、めいいっぱい家族孝行しよう。