つまさき47度

生徒から言われる「先生がいないと締まりがありません」を喜ぶ先生多すぎ

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ブログの下書きに、まだ記事がいくつか残ってて、ずっと前に書いてアップしていなかった記事もあったりして。 
 
ちょっとずつ消化していきます。以前の自分が、一応時間を書けて書いた記事だから、形にしてあげたい。
 

教員をしていた頃に感じていたモヤモヤ

 
みなさんご存知の通り、つまさきは日本で教員をしておりました。
 
良い教員=生徒を従わせることができる、みたいな部分が本当に嫌だった。
 
生徒指導のできる先生のクラスは、生徒が大人しくて、問題行動がなくて…というような。私は、問題行動は生徒からのヘルプのメッセージだと思っているので、それすら出すことのできないクラスなんて窮屈だろうと思っている。
 
 

怖いから言うことを聞く、は教育じゃない

 
とりあえず威圧で潰して、言うことを聞かせておくような、「教育」とは言えない方法で生徒を押し付けている先生がいる。うん、むしろこれが多い多い。
 
学とりあえず怒鳴りまくって「怖い」イメージをつけることで反抗させない、と言う方法をとったり。
 
それって、生徒自身が問題の核心を理解して行動しているわけじゃなくて、怒られたくない気持ちで押さえつけられているだけなので、ちっとも人間性自体を変えることはできてないんだよね。
 
力のない先生のすることだと思う。落ち着いたクラスを作るプロ、ではあっても、生徒のことを理解するプロ、ではないよね。教育の本質って何なのよ。
 

「先生がいないと・・・」で必要されていると勘違い

 
私も、実は1年目や2年目の頃は「先生がいないと部活の空気が緩い」と言う台詞や、「先生が出張の日はクラスがうるさいです」みたいな台詞に喜んでたような気がする。
 
つまり、自分には生徒をまとめる力があって、彼らは自分を必要としているのだと感じることができたから。
 
「先生がいないと・・・」で、自分に力があると思ってしまうのは完全に勘違いだと、気づいたんだよね。
 

担任はできるだけ姿を消すべき

 
2年目を終えて、校長先生に「先生の存在感が大きすぎるね。来年度は、行事など、先生の存在感をもう少し消してみたら?」と言われ、3年目に実践。
 
3年担任だったので、体育祭もメインだったけど、ほぼ口を出さず、合唱コンクールも一緒に歌っているだけ。
 
こうやって、存在を消すことで、生徒たちはなんだかんだ自分でできる、ということがわかった。生徒は、失敗したいんだよ、失敗から自分で学んで、そして成功したいんだよ。
 

自主性に任せる

 
助けてくれる人や、声をかけてくれる人がいれば、人間は甘えるよね。
 
私だってそう。
 
 
担任が口を出せば、生徒は自分たちで動かないけど、担任が観察に回れば、生徒は自分たちで動く。
 
常に子供を管理しようとなんてしなくても、子供って私たちが思っている以上に強くて、勝手に育つ。
 

先生が空気を作るのではなく、ブレーキの役割をするだけ

 
力のあると言われている先生のクラスに限って、心の奥底に不満が溜まっていたり、ふとした瞬間に爆発してしまうことがある。
 
担任は、自らがハンドルを握るドライバーではなくて、生徒が危険なことをしようとしている時や人を傷つけている時など万が一のときに暴走を止めるブレーキの役割さえしていればいいんだよね、と思った。
 

顧問だって、こうあるべき

 
部活動顧問に関しては、担任よりも威圧で生徒を押し付ける割合が高い気がしてる。
 
「楽しくやりたい」なんて意見は受け入れられず、辛い練習を経て「勝ち」を求める姿勢だけが評価される。
 
私も、部活はそういうものだと思ってた。結局、自分の受けてきた教育が全てであって、育てられてきたようにしか、育てることはできない。だから、この負の連鎖は続く。
 
体を動かすことは必要だと思うけど、毎日怒鳴られて、人間性を否定されてまですることではない。
 
そして、生徒の心を育てるための部活動だと言うなら尚更、今のような、顧問が怒鳴り散らして子供の自主性を無視するような活動は間違っている。
 
顧問も姿を消すべきだと思う。
 
正直、私も部活動大好き教員だったし、休日をいくら返上しても部活を見たいと思っていた。生徒の自主性を尊重するような活動ではなくて、こちらからメニューを与えて、先生怖いからちゃんとやろう…と思わせるような教員だった。
 
私は、間違ってた。若いうちに気付けてよかった。こじらせババア、こじらせジジイの方々、どうぞそろそろ気付いてください。
 

「先生がいないと締まりがない」ということは

 
結局、教師に必要なのは、表面的にその場の空気を変えることのできる力ではなくて、集団を育てる力だと思う。
 
「先生がいる時だけちゃんとする」生徒を育ててしまっているということは、力がないことの表れなんだろう。
 
本当に優れた教員は、生徒達自身で活動の意義を理解して、声を掛け合うことのできる集団を作る。
 
教師の存在感が大きいことは、間違いなく生徒の心の成長の妨げになる。 
 
小手先の話術じゃなくて、普段のマメなコミュニケーションとか、小さな工夫とか、そんなのが必要なんだろうなあ。