プラハのユダヤ人関連施設を回って謎に思ったこと
元々、プラハではユダヤ関連の施設を回ろう、という話はなかったんだけど、つまさきの「行きたいなあ」の呟きから8箇所を回ることに。
もしかしたら一生にもう訪れないかもしれない場所だから、見られるものは時間さえあるならば見ておきたいんだよね。
旅先で施設に入る時の入場料を渋るのは、愚かだと思ってる。高い航空券払って、数千円の入場料を渋るのは勿体無い。
というわけで、ユダヤ人墓地だったり、シナゴーグ(ユダヤ教のお寺のようなもの)を回った。あんまり写真は撮らなかった。なんでだろう。撮らなくていい気がした。
墓地は、想像した墓地から始まらず、あるシナゴーグから入ることができるようになっている。
シナゴーグは、コンクリート造りで冷たく、ただ部屋にひたすら名前が書かれているだけ。小さな字で、びっしりと。
ナチスの被害者の名前が隙間なく書かれている。鉛筆で直線を書くことで、まっすぐに文字を書くことができるようになっていた。
そもそもつまさきは、これほど多くの国のユダヤ人が迫害された過去を持っていることを知らなかった。強制収容所が、こんなに多くの国にあったことも知らなかった。
ポーランドとか、オーストリアとか、オランダとか、リトアニアとか、その辺りはわかるけど…。その周辺の国ほぼ全てに収容所があったなんて信じられる?
ホロコーストはもちろん大きな出来事、というか許すまじ悪事だったわけだけど、私の中では原爆と同じくらいの話として捉えていて…
いや、人の死が関わることに大きいも小さいもないんだけど。
言葉を選ぼうとすると何も書けなくなりそうなので、考えすぎずに書くことにする。とにかく、私はホロコーストの規模を見誤っていた。
そして、決してユダヤ人迫害はヒトラーが始めたことじゃないことも、私がこの旅行で学んだこと。ユダヤ人はもっとずっと、迫害され続けてきた。
「ユダヤ人」というワードが、暗い過去としか結びつかないのはとても、何というか、不憫というか。生まれてきて、自分のしてきたことを誇れるように人間は生きていくべき、だと思うのに、スタートがもうマイナスって。
もちろん教育現場ではきっと、ユダヤ人がちゃんと自分の出自に誇りを持てるような歴史を教えているんだろうけど。それにしても、暗い過去との結びつきが強すぎて、中学生あたりのユダヤ人の子供が自分たちユダヤ人をどう捉えているのか、気になる。
「誇りを持って生きなさい」なんて、言えば言うほどわざとらしい気もする。
「日本人として誇りを持ちなさい」なんて、言われた覚えがないし。
結局、自分が日本人としてどう扱われているか、外との接触の後に考え直すことの方が多い。
海外を旅行するようになって、「日本人だから泊めてあげる」とか、「日本人だからパスポートチェックしなくていい」とか。(これ嘘みたいだけど実際にあった話)
そういうことがあって、「あ、やっぱり日本人って世界から信用されてるんだ」って思ったり。
逆に、ゲストハウスで欧米人に「アジア人はどけ」と言われて、「あ、やっぱり日本人は気が弱いと思われていたり、欧米から見ると弱い存在なんだ」って思ったり。
自分をどう見るか、って、結局教育じゃなかったわ。
わからん。
そう言えば、プラハにはゴーレムのグッズがたくさんあった。ドラクエにも出ているあのゴーレム。
ユダヤ教で言い伝えられている人形をモデルにしたものだったとは。
差別に苦しむユダヤ人を守るための人形らしい。
なんだか、他にも色んな疑問があったはずなんだけど、これで終わりにします。ほぼ疑問解決してないし。