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クラスの太っちょくんの出願書類が出来上がらない理由
いよいよ公立の入試が始動します
中学3年生は、もう公立高校の出願書類を準備する時期です。
願書や返信用封筒、志願理由書などを全て用意して、教員が最終チェックをする「取りまとめ会議」という楽しい楽しい会議があります。楽しい楽しい会議は、夜まで続きます。
もちろん取りまとめ会議の前に書類を全て提出させなければならないのですが、締め切りを設けてもその日までに出せない生徒は必ずいるので、私はクラスでの提出日を早めに設定し、生徒を焦らせています。
「他のクラスは明後日が締め切りなのに…」と言われることもありますが、知ったこっちゃありません。早ければ早いに超したことはない。
太っちょくんの出願書類が揃わない
他の生徒が全ての出願書類を出し終わっているにも関わらず、太っちょくんの出願書類が揃いません。
願書も、志願理由書も揃っているのに、封筒だけが揃わないようです。
切手が貼られていません。
(こっちは待ってるのになんでこの子はもたもたしてるんだ…)
少しイライラしてきて、声をかけます。
「早く貼ってよ!」
太っちょくんはなかなか切手を貼らず、私に「先生貼ってください」と言いました。
教師としては当然、「自分の出願書類なんだから、自分で作りなさい」という他ありません。
ちなみに、今の中学生は、切手の貼り方を知らず、のりで貼る子も少なくありません。切手を貼る位置がわからないとか。やる機会がないんだろうなあ…
色々なこと、自分でやらせた方がいいと思います。
ダイエット中の太っちょくん
太っちょくんはなかなか切手を貼ろうとしません。
「どうして自分でできないの?」と聞くと、太っちょくんから返ってきた答えは
「先生、切手って4kcalあるんですよ…僕また太っちゃう…」
抱きしめたくなりました。
終わり
「つまさき先生は完璧じゃないからいいんじゃないですか!」
生徒から言われた言葉。
ハッとさせられた。
私は教師として、お世辞にも完璧とは言えない。
色んなこと忘れちゃうし、生徒に迷惑かけちゃってると思うことも多い。
「ほんとうっかりしてて、みんなに迷惑かけちゃってるね。ごめんね。」
とクラスで謝ったら、この言葉が返ってきた。
「つまさき先生は完璧じゃないからいいんじゃないですか!」
私はいつも生徒に支えられていて、日々助けられてる。
自分が生徒に対してしてあげられる事よりも、してもらっている事の方がきっと多い。
教師として、完璧でありたいと思ってたし、自分の弱みを生徒に見せたくなかった。できるだけ「先生」らしくいたいと思ってた。
だけど、先生には色んなタイプがいて当たり前で、今ある「先生らしさ」に縛られる必要なんて全くないんだろうと思った。
「完璧な先生」が必要なら、コンピューターが先生になった方がいい。
人間が先生である以上は、弱みだって見せてもいいんだ。
私は彼らに何もしてあげられないけど、彼らは私を支えられるほどに、確実に成長している。
こういう教育の仕方もあっていいんじゃないかと、甘えだと言われるかもしれないけど、思った。
私は本当に毎日、生徒によって「先生」をさせてもらっている。
つまさきのばあちゃん(80代)、LINE始めました。
来年度から私が海外へ出てしまうということで、ばあちゃんにiPadを買いました。
Skypeだけ入れてテレビ電話として使うつもりで購入したんだけど、あっという間にLINEアカウントを作って使いこなしています。
アイコンはしっかり自分(ばあちゃん)の顔です。
スタンプも使います。しかも、結構ハズし系の。内容と全く関係のないスタンプを使うのが流行りみたいです。可愛い
一文字打つのに3分くらいかかりますが、飽きずにまあ粘り強く取り組んでいます。
今日いちにちで打てた文字は「なあに」と「ここまで」と「いまれんしゆうちゆう」です。よく頑張った
文字を打つというのは、本当に良い脳トレだと思うので、なんとかLINEでつなぎとめてボケさせないようにしたいと企んでいます。
進捗があればお伝えします。
シュタインハウス銀座でトリュフの香るプレミアムハンバーグを食べてきた
シュタインハウス銀座に、トリュフ入りハンバーグランチを食べに行って来ました。
つまさきのお友達募集(ライバルは多いほうが良い)
こんばんは。生徒が作ってくれたスイートポテトが、美味しくて泣きながら食べています。生徒から食べ物を受け取るのは禁止されています。そんな規則守るはずがありません。つまさきです。
切磋琢磨できる友達って欲しいよね。
いわゆる「ライバル」と呼べる友達は、学生時代にはいたはずなのに、社会に出るといなくなってしまった。
くだらない話で盛り上がる友達も時には必要かもしれないけど、やっぱり自分を伸ばしてくれる友達がもう少し欲しいと思っているところです。
読書会ができる友達が欲しい
私は本当に本が大好きで大好きでたまらないのですが、一人で読んでいるとアウトプットが間に合わない。
お互いの読んだ本をまとめてプレゼンしあったり、時には同じ本を読んで議論したり、そんなことができる友達が欲しい。
以前、「ビブリオバトルしようよ」と誘ってくれた友達が居たんだけど、最高。かかってこい。
時事問題に関して討論できる友達が欲しい
今、世界や日本で起こってる問題に関しても、ディスカッションしたりプレゼンできるような友達が欲しい。
こちらもアウトプットが間に合わない。
「ドナルド・トランプの良いところと悪いところを5つずつ挙げてこよう」なんていうテーマでお互い持ち寄って朝まで語り明かしたい。
全身タイツで一緒に街を歩ける友達が欲しい
一人じゃ恥ずかしいようなことを、一緒に実行してくれる友達が欲しい。
人生、ぶっ飛んだ者勝ちだと思う。
映画について討論できる友達が欲しい
基本、映画は一人で観たい派なんだけど、それでもちゃんと上映終了後に3時間4時間かけて深くまで討論できる人となら、是非一緒に観たいと思う。
メッセージ性の強い映画を観て、その後遅くまでカフェで語り合いたい。
邦画はごめんなさいお断り。
中国語やタイ語を一緒に勉強できる友達が欲しい
語学は使ってなんぼ。
一人で学習していてもたかが知れているので、一緒に会話しながら勉強できる友達が欲しい。
これらのことが、歩きながらできたら満点。
勉強は歩きながらしたいタイプなので、こういうディスカッションやらなんやらを、お散歩しながらしてくれる人がいたら百点満点。
「一緒にいて楽な友達」よりも、「一緒にいて悔しい思いをする友達」が欲しい
一緒にいて楽だな、楽しいな、と思える友達はたくさん周りにいるので、今は良きライバルが欲しい。
圧倒的に賢くて悔しい、一緒にいて恥ずかしい、と思えるような友達、募集中です。(出会い厨)
人間は間違いだらけだけど、AIならね。
こんばんは。飼い猫に噛まれてばかりです。つまさきです。
DaiGoさんのニコ生の中で「AI(人工知能)が政治を行うべき」っていう発言があり、激しく同意したので、AIが政治を行うメリットについてライトに書いていきたいと思います。
目次
人間は必ず間違いを犯す
これはまさにその通りで、私たちは政治家に完璧を求めてしまうけど、完璧な人間なんているはずないんだよね。
まして、政治以外の部分で何か失態を犯した時も、国民はそれを責める。
政治に限らず。例えば、教師がギャンブルするだけでも叩かれる。修学旅行中じゃなくても、風俗バレたら大問題。
狩野英孝の件もそう。彼はお笑い芸人なんだから、お笑い芸人としての仕事ぶりだけで判断されれば良いはずなのに、私生活がクズならばお笑い芸人としてもクズ、みたいな扱いを受ける。
それが良いのか悪いのかは別にして。
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ここに詳しく書かれてるけど、フランスでは政治とスキャンダルは切り離されて考えられている。
つまり、政治には政治家が必要なだけで、聖人のような人間が必要なわけじゃないんだよね。
かのミッテラン*1は、スキャンダルについて質問された時に、「それが何か?」と答えたというほど。政治家がチャラ男でも下半身男でも、そんなのどうでもいいと考えられている。
だから、有能な政治家が失われにくい。日本では、どんなに政治家として有能でも、私生活が受け入れられなければ潰されるからね。
それでも、間違いを犯さない政治家なんていないから、どんどん入れ替わっていく。入れ替わること自体は悪いことでも何でもないけど。
人はそもそも愚かで、間違いを犯す生き物なんだから、政治家に完璧を求めたいなら人間ではなくAIに実権握らせるべき。
経験が違う=データ量が違う
人間は、長くても100年ちょっとくらいしか生きられない。
でも、AIは今までの何千年分の歴史をインプットして判断させることができる。
たった100年ぽっちしか生きられない人間に、できることは少ない。
自分が生きている「今」だけでなく、何百年、何千年先まで見据えて考えることのできる政治家も、ほとんどいないだろうね。
目の前のことだけ考えてしまって当然だよ。だって、1000年後のための政治をしたって、自分は生きてないもん。自分の子供も、生きてないもん。そんな先のことまで気にしていられるはずがない。
しかも、経験が違えばデータ量が違う。
人間は、自分の中にあるデータで物事を判断しているので、データ量が多くなればなるほど正確な判断ができるはず。
経験やデータ量じゃ人間は絶対にAIに勝てない。
人間の脳みそは進化しない
AIは日々、大きく進化してる。
でも、人間の脳みそはもう何世紀もほとんど進化できてない。
一生のうちに一人の人間が勉強できることも、ごくわずかだし、AIにインプットしちゃった方が早いに決まってる。
AIに自己学習のプログラムを組み込んでいけば、勝手に進化する。進化スピードも、人間の進化に比べれば圧倒的に速い。
人間が政治を行うのと、AIが政治を行うのは、どちらが幸福になれるか
私は基本的に政治家が嫌いだし、ろくな政治家を見たことがないので、こんな質問をされればAIに決まってると即答する。
でも、私はコンピューターに世界を乗っ取って欲しいと手放しに思っているわけではなくて、正直言えば縄文時代が最高だと思ってる。
リーダーの存在しない時代。(厳密に言えば指導者はいたんだろうけど)
法律のない時代。
寒い冬に食べ物が採れなくて、自分の家族が食べられてしまうことがあるかもしれない。悲しいことがたくさん起きるかもしれない。
毎日、明日食べるものがない状態。大食いの私に耐えられるかわからない。木ノ実で生きていくとか考えられない。マジで
それでも、どうしても今より汚い世界だったとは思えない。
縄文時代に武器は見つかっていないし、狩猟民族は争いを好まない。
平成よりはマシだ。
結論
縄文時代に移住してきます。
終わり
*1:フランスの元大統領
「ルールだから守りなさい」と言えない教員は弱いのか?
とある研修で、こんな話があった。
どんなルールでも、ルールと決まっている以上は「ルールだからだ。守れ。」と言うべきだ。
「なぜ守らなければいけないの?」と生徒に聞かれて、「ルールだから」と言えない教員は弱い。
ちっとも納得できやしない。
ルールが大嫌いだった中学時代
私は、ルールや規則と名のつくものが大嫌いな子供だった。
先生に怒られることも多かった。
一番嫌いだったのが身だしなみに関する規則。
「人は見た目で判断されるから、社会に出て損をしないように。」
こう説明されることが多かったけど、それでも納得できなくて、中学では変な色のカーディガンを着たり、ピアスも開けていたし、髪の毛も染めていた。
別にカーディガンなんか紺で良かったし、ピアスなんて痛いから開ける必要もないし、黒髪が正義だと思っている。あの身だしなみは、単なる教師や社会への反抗だったと思う。
先回りして、自分の道を塞がれることが、私は本当に嫌いだ。
先生の言うように、ちゃんと身だしなみを整えれば、「良い子」だと思ってもらえるけど、そうじゃなければ「悪い子」だと思われて評価してもらえないよ。
…私、良い子になりたくない。
もともと、部活にも力を入れてたし、学校行事も好きだったし、社交的な方だったし、勉強も好きだった。だから、先生たちの言う、本当の「不良」になりうる生徒ではなかったと思う。
だからこそ、「見た目で損をしないように」と言う言葉は、何度も何度も言われた。
ルールは守れないけど、認めてもらえそうなところで認めてもらえるように努力した。
同窓会で当時の担任に「あの頃の君には問題があった」と言われてしまうような、「悪い子」だったかもしれない私だけど、中学校時代の自分は今でも嫌いじゃない。
「良い子」になれたかもしれない高校時代
中学以上に校則の厳しい私立高校に入学した。
入学した瞬間から、髪の毛の茶色さを指摘された。翌日に黒染めして登校した。
そのあとも、ピアスがバレたり、化粧がバレたり、スカートが短いと言われたり、いつも女性の先生に何か言われていたような気がする。
「いくら勉強を頑張っていても、生活がきちんとしていない子は頑張りを認めてもらえないわよ」
別にギャルを目指していたわけでもないし、ただ、理解できないことに従うことが嫌だった。
退学者も何人かいたようだった。
「私も転校するからいいです」
と言い捨てて、何校か高校見学に行った。
学費の説明を受けて、親に尋ねた。
つまさき「今通ってるここの入学金もこんなにかかってるけど、転校したらもう一校分かかるけど。いいの?」
親「お前が楽しく高校へ通ってくれるならそれでいい」
なるべくバレないように俯いてめちゃくちゃ泣いたのを覚えてる。
転校なんて馬鹿な考えはやめた。ここで3年間笑って過ごそうと思った。
転校しない限りは、ここの規則を守らなきゃならない。退学にも、停学にもならないで、3年間を終える。
あれから、ピアスの穴も塞いだ。化粧もやめた。中学校へ顔を見せると、口々に「変わった」「落ち着いた」と言われた。
それが良かったのかどうかは、わからない。
原動力は人それぞれ
高校では、それなり大切な友達もできたし、別に孤立していたわけではないけど、何かに打ち込んだり、めちゃくちゃ頑張ったことがあったかと聞かれたら、正直なかった。
特に、ルールを守るようになってからは、普通に生活していれば「良い子」でいられたから、特段どこかで力を発揮する必要もなかった。
(私が「良い子」だなんて、高校の友達に言ったら怒られそう)
中学時代は、ルールを守れない分、どこかで頑張らないといけなかった。
「問題児だけど、人をまとめる力がある」とか、「問題児だけど、勉強を頑張っている」とか、そういう、評価される部分を作るために努力できた。
それが自分の原動力だったような気がする。
「髪の毛を染めているから学校に来られる生徒もいる」
大学の、尊敬するゼミの先生の言葉。
枠からはみ出していることで、自分の存在意義を感じ、登校できる生徒もいる。
枠に入れてしまえば、自分はその中の「一部」であり、「いてもいなくてもいい存在」になる。「異質な存在」であれるから、学校へ来られる。
髪を染めて登校した生徒を学校へ入れないのも、帰して染め直してから来いというのもナンセンス。
今の私には、じゃあどうすればいいのか、そのような生徒をどう扱えばいいのか、策は見つからないけど、ものすごく考えさせられた。
中学時代の自分も、校則を守らなかったからこそ、色々なことに一生懸命に取り組めていたし、どこかで自分を売り出さなきゃならないと理解してた。と思う。
高校時代の自分は、当たり前のことを当たり前にこなすだけで、十分だった。
ルール、モラル、マナーは損をして学ぶ
「将来、大人になって損をするからルールを守りなさい。」
あたかも、自分を思ってくれているような台詞だけど、それって言葉で言うよりも、損した方が気付けるのでは?
髪の毛を金髪にして、「将来、社会に出て認めてもらえないよ」と言われるよりも、
彼氏に「俺、そう言うチャラい髪型の女子嫌い」と振られる方がぐさっとくるし、
短いスカートを履いて、「そんなスカート丈じゃみっともないわよ」と言われるよりも、痴漢に遭い、泣きながら警察に届け出たのに「その長さじゃね…自分も悪いよ…」と言われる方が死ぬほど後悔する。
損をしたり、不利益を被る前に先回りして止めなくても、実際に嫌な思いをして学ぶ方が学びは大きい。
あまりにもルールを重視しすぎている
学校には、遊びがない。
「ルールだから守らなければならない」ことが多すぎる。
「ルールを守ること」は目的ではなくて手段のはずなのに、目的が見えて来ない。
だから私は、「ルールだから守れ」と、理由も説明できず、押し付けをする教員が嫌いだし、そうはなりたくないと思っている。
理由を説明したって、聞き入れるのか、聞き入れないのかは生徒に選ばせたい。
校則がそんなに大事ならば、じいちゃんがそう言うはずだ
私にとってじいちゃんは絶対的な存在。
私が校則を破りまくっていることも、じいちゃんは知っていた。
でも、「学校に従え」と言うことはなかった。
「毎日楽しいか?」
そればかり心配していた。
良い子だろうが悪い子だろうが、毎日笑って登校しさえすれば良いと言ってくれる家庭で育った。品がないと言われるかもしれないけど、私はこの家族の元で育って良かったと思っている。
「いじめにあっていないか?いじめにあったら、学校なんか行かなくていいんだからな。」
じいちゃんはいつも孫がいじめにあっていないか心配していた。
いじめられっ子とは程遠かったので、「そんなわけないじゃん」といつも笑って答えてた。学校へ行くことすら、強要されない家庭だった。
私が守らなければならないルールは、「家族を悲しませることをしない」これだけで十分。
何が何でもルールを守らせようとなんかしなくても、思いやりを育てれば社会は育つ。
大人になった今でも、やっぱりルールは好きになれない。
生徒の人間性否定ばかりする教師は早く辞職して欲しい
叱り方の基本として、「人格否定ではなく、してしまったことを叱る」というのは基本中の基本。
こんなこともわからない教員は早く辞職届を出して欲しいと思う。
生徒を叱る際に気をつけていること
私は女神ではないので、生徒を叱ることもある。
私は、自他共に認める「時間にうるさい人間」の部類なので、1分単位の遅れにも叱る。
「整理整頓にうるさい人間」でもあるので、荷物が転がっていることにも叱る。当然のことだと思ってる。
少し厳しい口調ではあるかもしれないけど、なぜ時間を守れなかったのか、どうしたら良いのか、これから何を約束するか、というところまで話すようにしてる。
将来、損をして欲しくないから。どうでもいいと思っていないからこそ叱る。よく叱られる生徒は「私のこと好きじゃないんだ…」と思ってしまいがちだけど、これは間違い。
先生たちだって、好きで叱っているわけじゃないし、叱ることは本当に大きなエネルギーを要する。どうでもいいならほっとくよ。
そして、私は叱る際に、絶対に人格否定や本人を性格を否定することはしないように気をつけている。叱ることって難しいし、子供が変わるタイミングだったりするから、慎重になる。
聞こえて来る言葉たち
「お前ムカつくんだよ」
驚くかもしれないけど、この言葉を口癖のように言う先生がいる。いやほんとに辞職して欲しい。(3回目)
理由も言わない、どうすれば良いかも伝えない、ストレス発散にしか思えない。
「てめえなめてんのか」
893じゃないかと。
自分が優位に立っていたいだけじゃないかと。
「目障りなんだよ」
文科省や教育委員会は、こう言う言葉遣いをしている教員がいることを、少なくないことを、ちゃんと理解した方がいいと思う。
生徒の人間性や人格を否定しているような言葉は毎日必ず聞こえて来るんだなあ。
自分の言葉を生徒の心に残したい
結局、私は本当に今生徒が大好きで満たされていて、だからこそ、そういう言葉を投げかける教員を見ているのが嫌で嫌でたまらない。
生徒は、大きな声で怒鳴らなくてもちゃんと変わる。信頼関係を作って、ダメなことはダメだと伝えてあげれば変われる。
否定するような言葉で怒鳴るのは、「あの人に逆らうと傷つけられるから嫌だ」という本能に働きかけるには一番手っ取り早い方法なのかもしれないけど、それは教師の仕事じゃない。
いずれ生徒が大人になって、自分の言葉が深く心に残っているような、そんな教員になりたい、なんて思った。